プロフィール
ごあいさつ
私は前目黒区議会議員の竹村ゆういと申します。
生まれ育った中央町一丁目で、妻と5歳の息子と3人家族で暮らしています。
大好きな目黒区が、ますます住みやすい素敵な街になるように、
そして、次世代を担う子どもたちの笑顔を守るために、
生涯をかけて目黒区に恩返しをして参る所存です。
東京23区の人口は、約971万人です。
私たちが暮らしている目黒区には 278,614人(令和5年3月1日現在)
の方々が暮らしています。
東京23区の中ではあまり人口の多い区ではありませんが
だからこそ、今よりもっともっと区民のみなさまの声が
区政に反映されるべきだと考えています。
私が目指すのは、「若者世代から高齢世代」「地域から地域」
「区民から区政」への『ココロの架け橋』となることです。
みなさまの声を、みなさまの想いをめいっぱい届けるため、
よりよい目黒区づくりに全力で邁進して参ります。
目黒区民のみなさま、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
令和5年3月吉日 竹村 ゆうい
take a chance! 23
生まれた日である「23」という数字に縁を感じ、
2023年に“好機を掴みとる”挑戦をします!
竹村ゆういの想い
いま日本は大きな転換期をむかえています。
2011年の大きな震災で生活の基盤が根っこから崩れて、
これから日本はどうなっていくのだろうという不安が膨らんでいます。
おかしい、間違っていると思うことがたくさんあるのは、
私たちの想いと政治とが大きくかけ離れてしまっているからでしょう。
日本中が混迷している今だからこそ、私たちの手元に政治をぐっと引き寄せるべきです。
私たちの想いが届く、ココロの政治がいま何よりも必要なのです。
私、竹村ゆういには最も身近な目黒区から日本を良くしていく決意があります。
この国の明日は、私たちに責任があるのです。
私たちの手で、目黒の明日を、ココロの政治を、一緒につくりましょう。
名前
竹村 雄尉
(たけむら ゆうい)
父親からの最高のプレゼントだと思っています。
生年月日
昭和58年(1983年)8月23日
39歳
生まれた日である「23」という数字に強い縁を感じています。
経歴
目黒区で生まれ育った根っからの目黒っ子
平成2年(1990年) | 碑文谷教会付属幼稚園 卒園 |
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平成8年(1996年) | 東京都目黒区立鷹番小学校 卒業 |
平成11年(1999年) |
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平成14年(2002年) | 東京都立青山高等学校 卒業 |
平成19年(2007年) | 明治大学 政治経済学部 政治学科 修了 在学中にフットサルチーム「BOA SORTE」結成。 お世話になった碑文谷教会幼稚園で、約4年間のボランティア活動を経験。 |
平成21年(2009年) | 日本福祉教育専門学校 卒業 |
平成21年(2009年)~ 平成23年(2011年) |
鶴が丘ガーデンホスピタル 勤務 |
平成23年(2011年)~ 現在 |
めぐろくらぶ 代表 |
平成23年(2011年) 4月 | 目黒区議会議員選挙 落選 556(ココロ)+1票というたくさんの方々からの応援をいただきました。 |
平成25年(2013年) 9月 | 衆議院議員 三谷英弘 事務所 秘書 当時の東京5区(目黒・世田谷)で地元秘書を務めました。 |
平成26年(2014年) 7月 | 目黒区議会 議員定数削減 直接請求署名活動 実施 請求代表者として署名活動に取り組みました。 署名数:3,194筆、受任者:149名という結果を 目黒区役所にて総務課と選挙管理委員会にご報告させていただきました。 |
平成27年(2015年) 4月 | 目黒区議会議員選挙 当選 2,572票もの目黒区民の皆様からご支持を賜りました。 |
平成31年(2019年) 4月 | 目黒区議会議員選挙 落選 1,487票のご支持を賜りながら落選いたしました。 すべて私の力不足です。申し訳ございません。 |
令和元年(2019年) 11月 | キリンビール株式会社 入社 主に江東区エリアで飲食店さま向けに営業をしております。 |
令和5年(2023年) 4月 | 目黒区議会議員選挙 立候補予定 |
趣味
息子
5歳の息子の成長を見守り、共にめいっぱい遊ぶのが一番の楽しみです。
フットサル
同級生たちと結成した「BOA SORTE」で定期的に活動中。
カラオケ
コロナ禍になってからカラオケに行けていません。
ソフトバレーボール
「MSVC」で向原小学校を拠点として活動中。